8ミリ通信No.3 ブルース・リー完全復活!!
映画キャメラマン
田端 仁憲


 アジアのスーパースター、ブルース・リー。彼に心を奪われてから二十五年が流れてしまった。
一九七四年「燃えよドラゴン」が上映され日本中が「ドラゴン伝染病」にかかってしまった。私もその一人であった。毎日外に出ては電柱を蹴り壁をチョップして痛い思いをしていた。いったいこの男は誰なのだろう?それがわかるまで時間がかかった。”李 小龍”香港が生んだアジアのスーパースターだった。
 しかし彼は死んでいたのである。謎の死だったのだ!これがまた私にとってますます深みに嵌まることになる。いてもたってもいられなくなり一直線に香港に行ったのである。まず空港に着くやタクシードライバーに彼の家の住所を渡し直行したのだ。ここだ!ここだ!私は写真で見た彼の家の前に立っていた。
 ブルース・リー夫人はアメリカに戻り生活していたため家は他人に渡り修理していた。庭には彼が使用していたバスタブやトイレやトレーニング用品などがゴミとして積まれていた。
 その中に日本庭園の朱い橋があった。私は知らないうちにその橋をかついでいたのである・・・
 
日本ではブルース・リーブームがテレビまで伝染し、水曜スペシャル、木曜スペシャルで毎週ブルース・リー特番が放送されていた。この頃まだ私はビデオデッキを持っていなかった。しかしどうにか映像を残したいため8ミリに力を借りることになるのである。テレビに8ミリキャメラを向け、フィート数いっぱいまで撮影した。映像が上がりスクリーンで見ると画面はまっ青、しかもキャメラと自分が映っているのであった。

8mm3no14.jpg

 その私が今は日本映画のキャメラマンになり本編を撮影しているとは夢のような話である。
ブルース・リーに出会っていなければ今の私はいないのである。彼が死んでから二十五年が流れるその間8ミリからビデオになりLDになりDVDと、時代と共に映像ソフトが変化していった。しかし「燃えよドラゴン」はフィルムで見たいのである。ビデオでは体験できないスケールがフィルムにはある。今のこの時期もう一度フィルムを考える時代が訪れてもいいのではないか?
 ブルース・リー。それは私にとって8ミリへの思い出でもあるのであ!『アチョ~!』

P.S 一九七〇年代フジフィルムから名作劇映画シリーズで「燃えよドラゴン」「ドラゴンへの道」、東京フィルムサービスからは7種類の8ミリシリーズが出ていました。情報や品物を譲って下さる方、連絡待っています。

8mm3no13.jpg
田端 仁憲
(たばた ひろのり)
映画キャメラマン
1960年東京生まれ。
香港で西本 正キャメラマン
(「ドラゴンへの道」撮影担当)
と出会い、学生時代より撮影
助手を始める。
1981-1985年香港「SALON
FILM」で撮影助手、帰国後多くの
キャメラマンの助手に付く。
1994年キャメラマンとして独立。
劇映画、ドキュメンタリー、CFと
数多くの作品を担当。


                           8ミリ通信No.3 page,9
スポンサーサイト



2008-12-17 17:00 | 8ミリ通信No.3 | Comment(0) | Trackback(0)
Comment
コメントを書く
#

管理者にだけ表示
Trackback
Trackbak URL:http://old8mm.blog49.fc2.com/tb.php/36-0baa93f5
08
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
--
>>
<<
--