8ミリ通信No.9 少年の日の夢、8ミリ、鉄道、我が人生
 昨年の夏、Tさんは数十本の8ミリ作品を携えて私たちのテレシネ工場を訪ねて来てくれました。新幹線を利用すれば岡山から一時間半程で着くのに在来線を乗り継ぎ三時間以上かけて来たと話します。さすがに鉄道好きな方ならではと感心。その時のフィルムテレシネがようやくひと区切りをつき、この三時間の道のりを同じように辿り、ご自宅を訪問しました。
Tさんが”8ミリ人生”を語ってくれます。



 私と映画との出会いは、活動写真(映画)の好きな祖母によく連れて行って貰っていた幼稚園へあがる頃のように思います。
 私はその頃、活動写真は白幕の中で人々が実際に演じているものと思っていたので「チャンバラ」や「幽霊」の活動写真を観た後は、血だらけの侍や幽霊が舞台から降りて来るものと思い、怖くてなりませんでした。
活動写真が終わると祖母に「早く出よう、早く出よう」と言ったのを覚えています。
   
   
 そのうち、映画(活動写真)はフィルムを映すということが判ってきました。
小学校二年の頃、近所の駄菓子屋のおまけで貰った5コマのフィルム(劇場映画フィルムの細切れ)を、天にも昇る思いで家へ帰り、裸電球の前へかざして壁へ映したものの、全く映らない、どうして?なぜ?・・・。
その内だんだんと映画の仕掛けが判ってきました。そして小学校四年の時に観た『二十四の瞳』。これは長い映画で退屈したものの、「先生の乗る船と主人公の乗る船のすれ違いをカットバックで構成しているシーン」、「出世兵士を送る列をロング固定ショットからゆっくりフォローし、家の中で先生と生徒の話すショットへと移るシーン」等が記憶に残り、以後映画を撮る度に自分なりの撮り方を考え、そのうち自分で映画を撮りたいと思うようになりました。

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「夢の宝箱」、Tさん自宅の編集室で
  
 その映画への思いで悶々とした十数年後、就職してやっと8ミリカメラを手にし、最初に撮ったのは蒸気機関車でした。

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Tさんの作品「栄光のC62」
  
 以後、鉄道をテーマに映画を撮って、気が付いたら四十年近くが経っていました。思い出せば「隧道入り口の急斜面を機材を抱いて滑り降り、ズボンの尻が破れて無くなり、尻が血だらけで猿の尻のように真っ赤、恥ずかしい思いで撮影を続けた事」、「宿泊費が無いため工事現場の土管の中で夜を明かした事」、「石炭車へ乗り撮影中、隧道の中で窒息しそうになった事」など、いろいろと頭に浮かんできます。
 それ以後ずっと現在まで、常に頭の中は8ミリのことでいっぱい。映画の組立は?BGMは?ナレーションは?タイトルは?など、構想を組み立てては壊し、組み立てては壊しの連続、無我夢中で8ミリと共に歩んできました。
 ところで、数年前から不安になっていた事は、フィルムが経年変化で駄目になるのではないかということです。何かよい方法はないかといろいろ探していたところ、8ミリの映写感覚のままのテレシネを吉岡映像設計事務所で制作してもらい感激し、今までの作品が今後も安定して保存できる道が開け、将来の不安が消えたので安心しています。
 私も今年で定年を迎え、現在JR因美線の撮影をしています。これからの第二の人生は新しくもビデオも加えて、今まで撮り続けてきた鉄道をテーマにした映画製作を今後も続けて行きたいと思っています。

CFCサロン岡山所属


8ミリ通信No.9 page,3
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2010-08-30 17:20 | 8ミリ通信No.9 | Comment(0) | Trackback(0)
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