8ミリ通信No.9 平成14年(2002年)3月1日発行
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音も無き8ミリの音 家族で囲めば聞こえ来る 時の声。

サイレント時代がもっと長くつづけば映画はもっと発達したであろう」、映画王チャップリンの意味深い言葉である。映画はこの世に登場してから三十年間はサイレントであった。映画人たちは最初からそれに甘んじていたわけではなく何とか音を出したいといろいろ工夫した。蓄音機と合わせたり、フィルム上にレコードと同じような溝を刻みつけたりと試行錯誤を経て、音の波をフィルム上に明暗で記録する現在の光学式が採用されてトーキー時代が幕開けした。

 しかし、かのチャップリンでさえすぐにはトーキー映画の製作には移行せず、それにも増してサイレント映画の表現方法を高めている。日本では一九三一年(昭和六年)松竹映画「マダムと女房」(五所平之助監督)が初のトーキー映画として誕生する。これは”土橋式トーキー”と呼ばれるもので全編同時録音で撮影されカットの替わり目で音が途切れぬように3〜4台のカメラを同時に回したという。同じ松竹で監督をしていた小津安二郎はそれから遅れること五年、「一人息子」(一九三六年松竹)でようやくトーキーに取り組む。これはコンビを組んでいたキャメラマン茂原英雄の”茂原式トーキー”の完成を待っていたことがあるがトーキー一作目としては音に対する実験的な姿勢は見られずあくまで現実音とセリフを使っただけのサイレント的演出に終始していてこれは後の小津スタイルとなった。
 8ミリもまた長い年月を経てトーキーとなり、その果てには同録カメラも誕生し、音を手に入れることはいともたやすくなったのだが、同時にこの同録の画をつなぐことの難儀さを思い知らされるのである。
同録イコール、トーキー映画ではなかったことにここで気付く。今やその撮影サウンドフィルムたるものは世の中から消え去り、ある意味、昔に戻ってしまった。少しは寂しい感もするが、むしろ選択肢が減ったことを良しとして考えようではないか。
近年、各地で昔のサイレント映画の名作鑑賞会や弁士、楽団付き映写会が催され、話題を博している。喧噪の時代、小生の頭もサイレントに切り換えてみようかと思う。

8ミリ通信No.9 Page,1
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2010-07-01 17:00 | 8ミリ通信No.9 | Comment(0) | Trackback(0)
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