8ミリ通信No.8 考察! France madeと日本人
 映画というのは、今も昔も原理はまったく同じである。フィルム上に何万という連続した静止画像を載せる。これを動画にするには、一分間に27メートルのフィルムが必要で、8ミリでも実に5メートルのフィルムがいる。このフィルムを一定のスピードで動かせば、見る人には実際に動いているように見える。いうなれば目の錯覚を利用しているのが映画である。
 エジソンがキネトスコープを発表した翌年の一八九五年(明治二十八年)十二月フランスのリヨンに写真乾板製造工場を経営していたリュミエール兄弟はシネマトグラフを開発した。この機構は今日の映画カメラ、映写機とほぼ同じである。
 京都で「稲畑染料店」を経営していた稲畑勝太郎(いなばたかつたろう)は毛織物の研究にフランスのリヨンを訪れる。三度目の訪問である。かねてよりフランスの工業高校での同級生として親交のあった兄オーギュスト・リュミエールと再会する。ここで稲畑は兄弟の開発した「動く写真」シネマトグラフを見せられ、日本での代理権を与えてもらうこととなり、リュミエール社と契約、フランス人の映写技師を連れての帰国となった。この時、リュミエールの兄は三十五歳、弟三十二歳、稲畑三十五歳、そして技師は二十三歳という年齢であった。

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  リュミエール兄弟のつくった”シネマトグラフ

 時は流れ、一九二〇年(大正九年)にはフランスの小型映画においてパテー社9.5ミリ映画を開発。関東大震災以後、日本でも輸入され始め家族の記録が撮影されるようになった。伴野文三郎率いる伴野紹介はいち早くパテー社と契約、パテーベビーがの9.5ミリ映画機材やフィルムの販売に着手、また独自考案の現像設備やフィルムリール、アルマ型映写機の開発を始めた。伴野はなかなかのアイデアマンであったようだ。
 パテーベビーの機材のトレードマークがにわとりの親鳥であるのに対し、ひよこマークにBANNOと刻印されたリールやフィルム缶はたいへんに愛らしいものである。
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  パテー社のにわとりと伴野商会のひよこ

 いずれもフランスと日本の映画史を語る上で興味深い話である。
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2010-04-07 14:55 | 8ミリ通信 No.8 | Comment(0) | Trackback(0)
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