■8ミリ通信No.7 松下隆一の8ミリ映画撮影だより
■8ミリ通信No.7 連続小説.2
『老人と8ミリ』
かれは年をとっていた。
琵琶湖に小舟を浮かべ、ひとり8ミリキャメラで魚を撮って日をおくっていたが、ワンカットも撮れない日が八十四日もつづいた。はじめの四十日はひとりの撮影助手がついていた。しかしワンカットも撮れない日が四十日もつづくと、撮影助手の友人らは、もう老人がすっかり”ミゾグチってる”のだといった。”ミゾグチってる”とは撮影スタッフ用語で最悪の事態を意味することばだ。
撮影助手は友人らの忠告にしたがい、ビデオキャメラを担いでべつの船に乗りこんで撮影に出かけ最初の一週間で、みごとな魚を三カットも撮り上げた。老人が来る日も来る日もワンカットも撮れずに帰って来るのを見るのが、撮影助手にはなによりも辛かった。かれはいつも老人を迎えにいき8ミリキャメラや三脚などをしまいこむ手伝いをしてやった。老人と同様に老いて傷だらけになった8ミリキャメラではあったが、その姿にはいつか最高のショットを撮るという、永遠の執念が漲っていた。 (Arayotto,Hennaway)
8ミリ通信No.7 page,2
かれは年をとっていた。
琵琶湖に小舟を浮かべ、ひとり8ミリキャメラで魚を撮って日をおくっていたが、ワンカットも撮れない日が八十四日もつづいた。はじめの四十日はひとりの撮影助手がついていた。しかしワンカットも撮れない日が四十日もつづくと、撮影助手の友人らは、もう老人がすっかり”ミゾグチってる”のだといった。”ミゾグチってる”とは撮影スタッフ用語で最悪の事態を意味することばだ。
撮影助手は友人らの忠告にしたがい、ビデオキャメラを担いでべつの船に乗りこんで撮影に出かけ最初の一週間で、みごとな魚を三カットも撮り上げた。老人が来る日も来る日もワンカットも撮れずに帰って来るのを見るのが、撮影助手にはなによりも辛かった。かれはいつも老人を迎えにいき8ミリキャメラや三脚などをしまいこむ手伝いをしてやった。老人と同様に老いて傷だらけになった8ミリキャメラではあったが、その姿にはいつか最高のショットを撮るという、永遠の執念が漲っていた。 (Arayotto,Hennaway)
8ミリ通信No.7 page,2
■8ミリ通信No.7 8ミリいろは(つづき)
■8ミリ通信No.7 8ミリの独り言
〜家族とともに〜
二十一世紀が目前である。そして私は六十八才を迎えた。母なるイーストマン・コダックは私を16ミリの弟分として生んでくれた。一九三二年に生をうけ、わずか3才にしてはるばる太平洋を越えて日本へやって来た。その頃の日本はとても平和で、先に来た兄さんやフランス生まれのパテーさんが活躍していた。小さな私など受け入れられるのかと心配したが、それもとりこし苦労で、たくさんの家族から歓迎された。
二十一世紀が目前である。そして私は六十八才を迎えた。母なるイーストマン・コダックは私を16ミリの弟分として生んでくれた。一九三二年に生をうけ、わずか3才にしてはるばる太平洋を越えて日本へやって来た。その頃の日本はとても平和で、先に来た兄さんやフランス生まれのパテーさんが活躍していた。小さな私など受け入れられるのかと心配したが、それもとりこし苦労で、たくさんの家族から歓迎された。
■8ミリ通信No.7 平成12年(2000年)12月1日発行







